頂上へのアプローチはひとつじゃない。

VOL.249 / 250

片山 義章 KATAYAMA Yoshiaki

学生時代はアメフトに専念して、チームは全国ベスト8入りを果たす。卒業後、レーサーを目指し、2013~2014年はスーパーFJに、2015年にFIA-F4、JAF-F4に参戦。2016年からF3クラスにステップアップを果たし、今年の第8戦岡山で初優勝を挙げた。
夢はもちろんF1レーサーだが、岡山国際サーキットの営業部に所属し、現在は新規事業にも着手している。

幼少期からレーシングカートをやってきて
メーカー系の育成プロジェクトに乗り……
という国内レースのエスカレーターに立つことなく
片山義章はF3まではい上がってきた
「経験値で及ばないなら、別のアプローチを」
アメフトで培った肉体と精神力が
不可能を可能にする扉を次々に開けていく

 中学、高校は全寮制の男子校でした。愛知県の蒲郡市にあって僕は第1期生として入学したのですが、その寮長がアメフト部の顧問だったんです。アメフトと巡り合って始めてからは一生懸命に取り組み、先輩がいない中で全国ベスト8という結果を残すことができました。だから、19歳までレースとは無縁の生活。高校の友達がスーパーGTのテレビ番組を好きだったので僕も見たことはありましたが、そこまでレースに興味を持つこともありませんでした。  そんな自分がレースの世界に踏み込んだのは、高校卒業後です。縁あって岡山国際サーキットに勤めることになった父が、僕に「レースをやるか?」と勧めてきたので「やります!」と。運転免許を取得して車に乗るようになってから、少しずつ興味が出てきたんです。ただ、当初は運転できればいいやぐらいの気持ちだったので、免許はオートマ限定でした。今じゃ考えられないですよね。だから限定解除をするため、岡山サーキットの敷地内を使い、軽トラでミッション車の練習をやっていました(笑)。

違うアプローチで戦う

 岡山国際サーキットで初めて乗ったのは、耐久レース仕様のアルテッツァ。ドライビング理論を知らず、もちろん最初は恐る恐るでした。岡山の2コーナーは高速コーナーだし、フルブレーキングで詰めるヘアピンなんて、普通の運転とまったく違うじゃないですか。でも、何周かするうちにアクセルを踏めるようになると面白い気持ちが勝っていました。
 恐怖心が一般人より薄いのか、どんどんタイムが良くなっていったんです。
 その後、存在すら知らなかったフォーミュラカーを始めました。スーパーFJという入門カテゴリーで、1年経たないうちにオートポリスで優勝でき、父から「才能がある」と言われ、その気になってしまいましたね(笑)。
 ドライビングの入口は、広島出身のレーサー松本武士さんに教えてもらいました。その後にレース界のレジェンド、藤田直廣さんにレクチャーを受けて、オートポリスで優勝することができました。でもその年、今参戦しているF3のレースを見る機会があった時に思ったのが、「これに乗れるのかな?」でした。コーナリングスピードの速さ、そしてコーナリング中にダウンシフトしているのを見ていると、自分がそれに乗る姿を想像できなかったんです。でも、乗りたい気持ちはありましたよ。
 最終的にスーパーFJを2年やって、2015年のFIA-F4、JAF-F4参戦を経て、2016年からF3にステップアップできました。そう話すと苦労がないようにも聞こえますが、つまづきもありました。やっぱり小さい頃からレースをやってきたライバルの存在が大きかったです。スーパーFJでは2位、3位ばかりで、同時期に出ていた牧野任祐くんに届かないことが多かったんです。JAF-F4でも牧野くん、阪口晴南くんがいて、1位になるのが難しかったですね。それで焦ってミスやクラッシュをして、父にすごく怒られて鬱になりそうになったり……。
 小さい頃からレーシングカートをやってきた子たちは、レース自体がうまいし、タイヤの使い方が上手でスライドコントロールにも長けています。〝一発〞のタイムも速い。そんな子に勝つためにはどうすればいいか? 経験値の少ない僕は、違うアプローチをするしか勝てないなと思いました。ホンダ、トヨタが主催するレーシングスクール、SRS-FやFTRSも受講しましたし、アメフトで作り上げた身体をさらに鍛える努力も続けました。細身のドライバーが多い中、F3は体力が必要だと分かっていたので首、腕周り、背筋、腹筋を中心に、ジムに通って毎日2時間ほどトレーニングをしています。その甲斐あってか、皆が疲れるレース後半にタイムが落ちないし、「腕が上がらない」と皆が言っているレース後も僕は元気です。

F3で開花した才能

 F4からF3にステップアップして、ますます身体的な強さが必要だと感じています。F4とF3ってまったく別世界で、F3になると急にダウンフォースを肌で感じられるようになります。初めて鈴鹿サーキットを走った時、130Rはアクセル全開で行けると聞いていたんですが……。スピードが上がるにつれハンドルの遊びがなくなっていき、車が路面に張りついたように沈み込んでいくんです。130Rに向けてハンドルを切ろうとしたら動かない! 壊れたのかなって思うぐらい重いんです。その時はギリギリで曲がれたのですが、ダウンフォースのすごさを体感した瞬間でした。
 今年、岡山国際サーキットで優勝できましたし、F3初年度のNクラス時代は上のクラスを抜くこともありました。そうしてスーパーFJやF4以上に、F3で結果を残せているのは、ダウンフォースへの対応がスムーズだったからだと思っています。コーナーに飛び込んでいくスピードが高ければ高いほどダウンフォース量は増え車が安定するのですが、その飛び込みで普通は減速しすぎてしまいコーナリングスピードを上げていけないんです。飛び込める度胸だけは、誰にも負けていないみたいです(笑)。

この4年間は、別世界のように速く、身体能力を求めらえるF3を戦う。たとえレースの巧さで負けたとしても、片山は身体的なアドバンテージを努力によって築き、ライバルたちと競り合っている。

全日本F3で活躍する片山義章が幼少の頃から
レーシングカートをやっていたら──
そんなタラレバ話をするのはナンセンスだ
回り道したからこそ得たものは大きい
そして、F1までの道が1本ではないことを
彼はまさに自分の人生で証明しようとしている

 学生時代に日本一を目指してアメフトをやる中、少しでも時間があれば部員で集まってミーティングをしたり、パスワークのタイミングを合わせたり、全国ベスト8になるまで妥協なく努力を続けました。その経験は身体的な面で今のレースで確実に生きていますし、メンタルの強さとしても自分の武器になっていると感じています。またレースはチームスポーツです。いったんコースに出てしまえばレースは個人競技のように見えますが、それまでにチームのエンジニアと車両のセッティングを調整していったり、レース戦術を決める上でもチームとのコミュニケーションは必須。そんなチームプレーをアメフト時代にしっかり学べた経験は、とてもプラスになっています。
 今所属しているのはOIRC teamYTBというチームで、スタッフのほとんどが外国人です。監督はイギリス人、エンジニアとメカニックはオーストラリア人、チームメイトはフランス人と、とても多国籍です。チームでの公用語は英語で、日本語での会話はほぼありません。日本にいながら、海外のレースを戦っているような現場────。ヨーロッパにチャレンジしたい気持ちがあるので、そんなグローバルチームを選んだのもあります。
 自分が求めるセッティングをうまく伝えられているのか、昨年までは自分でもよく分かっていませんでしたが、今年6月に岡山国際サーキットで初優勝した際、自分がこうしてほしいと言ったのを「分かった」とチームは応えてくれ、そのセッティングの方向性がうまくいってタイムを落とさずトップを守り続けられました。今年になってから手応えがあり、あの優勝でさらに自分のコメントに自信がつきましたね。

優勝して芽生えた気持ち

 岡山国際サーキットは誰よりも走り込んでいる得意なコースです。ただ、だからと言って簡単に勝てる世界ではありませんし、過去には岡山が得意だからという自分の思い込みや周囲の期待がプレッシャーになって優勝できなかった苦い思い出もあります。そういう意味でも、岡山で勝てたというのは僕にとっては大きなミッションクリアになりました。
 岡山は3レース制で、2レース目で優勝できたのですが、じつは1レース目で2位になった時の方が喜びは大きいものでした。というのも、1位になって表彰台に立った時は、嬉しさよりも感謝の気持ちが強かったんです。サーキット関係者が喜んでくれたのはもちろん、そこのシェフやロッジのスタッフまで泣いて喜んでくれて、そんな姿を見て「1位になれたのは、そんな皆さんが支えてくれたおかげだ」と心から思えたからです。だからこそ、自分はまだまだ先を目指して努力し続けなければいけないな、という気持ちも強くなりました。
 自分はメーカー育成ドライバーの枠には入っていません。それをハンディと思ってしまえば負けですが、自分のできることを最大限やろうと思って日々過ごしています。たとえば今年、F1モナコグランプリに行かせてもらった時は、FIA会長のジャン・トッド氏に顔を覚えてもらうために挨拶をしたり、他にも挨拶周りをしたり。そうして外国人相手に堂々とコミュニケーションがとれることも自分の強みかもしれません。昨年に出たポルシェカレラカップのシュートアウトでは、結果はさておき「かつてないほど元気な日本人ドライバーだった」と本国のポルシェからお褒めの言葉をいただきました。

コース上で戦うのはドライバーひとりの仕事だが、それまでにクルマ作りやレース戦術をチームと進める。「個人スポーツではなく、レースもチームスポーツ」と片山は語る。

早く欧州へ行きたい

 前戦の菅生大会ではスーパーフォーミュラに参戦するハリソン・ニューウェイ選手が全日本F3選手権にスポット参戦してきましたが、彼の前でゴールすることができ、ドライビングテクニックで負けていないという自信につながりました。昨年開催されたスーパーフォーミュラのルーキーテストでも半日ほど乗せてもらったのですが、チームスタッフから「速いね」と言われました。上のカテゴリーでも「自分はやれる」という自信が今はあります。
 レースを続けるからには、最終的にはF1に乗りたいですね。政治やお金の面でハードルが高いのは分かっていますが、レースを始めた頃からヨーロッパでやりたい気持ちをずっと持っていました。本場のヨーロッパに全力でぶつかって、そこで仲間を作って、日本人ドライバーだって負けていないぞというのを証明したいです。そして、自分が肌で感じたことを日本にのサーキットやレースにフィードバックできればいいですね。
 ただ、F1を目指すとなると僕の年齢だと遅すぎるぐらい。早いうちにヨーロッパにチャレンジして、そこで活躍しなければいけません。だから、全日本F3は今年で卒業────そう自分に言い聞かせています。最終戦は初優勝したサーキットでもある岡山。また優勝を果たして、有終の美でF3を卒業できれば最高ですね。

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